私はどうも納得が行かない。
派遣社員に見る雇用問題や賃金格差、経済成長を味わえないから
失われた世代と言われ、「若者が貧困だ。」と言われることに腑が落ちない。
先日、「世代を繋ぐイベント・新左翼とロスジェネ」で
お越しくださった鈴木氏はまさに雨宮かりん氏らと共に
ロスジェネという言葉を作り出し、若者の貧困を呼びかけ
一つの運動へと持っていったそうだ。
静岡と東京で若者が持つ問題点が違う。
東京では頼る人も居なく、孤独であり、餓死してしまう若者も
居るようだ。
日が経ち、細かな事まで覚えていないので表現が間違っていたら
申し訳ありません。
たしか、彼は新左翼運動と共通するものがあると云っていた。
団体となって一種、トランスとなる連鎖。
ロストジェネレーションも何処か共同体として
閉塞感を連鎖として感じること。
それが共同体として同じでは無いか、だったか。
居た私が感じた受けた事はそれであった。
どう、表現してよいのか。
ただ端的に雇用状況としての派遣社員の問題であるのか、
資本主義、雇用、格差、それらが原因で
① 若者が貧困なのか
② そう捕らえられる理由は何か
③ 心、意識の問題は
① 高度経済成長やバブルを味わった事の無い世代には
何を持って豊かで、何が貧困かという事が私にはよくわからない。
東京で餓死してしまった若者が貧困ではなく、そこに住んでいた
民が助ける事が出来なかった、その地域社会が貧困なのかも
知れない。
今日、梅ヶ島の方との話の中で
「誰かが病気になれば、元気なものが病院に連れてゆく。
昔から、ただそれだけだ。」この地域は中山間地として、
東京とは異なり所謂経済的豊かさにはない。
② 派遣や労働問題が貧困の原因とするならば、年配者で
こういった制度の下で直面する経済的な問題の方が
若者よりも遥かに深刻であり、40~50台では自殺者も多い。
また、この世代に限る理由、そして世代として
年齢で人間を区切るナンセンスさには共感を得ることは出来ない。
私が現在関わる幾つかの会で、世代のみで区切られている事も無く
住んでいる地域も、大学も世代で区切って考えた事は無い。
③ これが一番云いたかったのだが、
心の問題でなないか。
やっと私の勝手気ままな主観から、感銘を受けた本を引用させて
頂きます。
・フィリピンの島カバジャガンに住む子供と日本の子供の比較
・物質主義と自尊心の間に強い負の関係
自尊心が低い者は物質主義になり、逆に自尊心が高い者ほど
物質主義になりにくい
・アメリカ消費者行動研究所発表、チャップリンとジョン論文
「物質的世界に育つこと」
自尊心が低いと自分の価値を高めようと高価なものやブランド品
に走る傾向がある。羨ましがられ、ますます物質的主義に陥り、
悪循環に浸る者も多い。
・1990年 ベネッセ教育研究所国際6都市調査データ
自分を「正直な子」「親切な子」「勤勉」「勇気」がある子」とした
調査で
東京では十数パーセント、
アメリカミルウォーキー、サンパウロ、オークランド、北京は40%
を超えた。
ソウルのみ30%代であった。
・日本の子供の自己評価は突出して低い。
自己表現に関する文化的格差によるゆがみもあるが、日本の子供
の自画像は比べて極端に低い。
自意識は、たとえ初めは事態通りで無いにしろ、結果として
そういう意識に近い実態を生み出すという、予言の自己成就に
なりやすい。
(これが情報として「貧困、失われた世代」と呼びかけられる事で
共同体としての自己成就に陥らないか私は危惧している。)
・自尊心の低さは、向上心の低さ、自分に対する諦めに
結びつきやすく、若者からより良く生きようとする力を奪う。
・消費社会のパラドクス
消費主義は経済的には良い効果を与える。国民の購買力の高さは
生産者の利益を増やし、その一部は雇用者の所得の増大となって
国民を豊かにする。
しかし、他方で消費主義は精神を、特に子供や若者の精神を蝕む
可能性が大きいのである。
・子供の自尊心を高める為には
チャップリンとジョンは「子供が自分への肯定的価値を生み出し
やすくなるような、家庭や、学校や、コミュニティーでの人との
関わりが必要だと主張している。
(このコミュニティーを形成するに世代で区切れるかどうか。)
・褒めることで自身を付け、家族間での役割、連帯感が出来る。
・家庭におけるワークライフバランス
・統計 中2、高2対象 日、米、韓、仏の4カ国比の意識調査
「社会全体に満足な若者」
アメリカ74%、日本32%
「自分自身に満足」
アメリカ89%、日本23%
「21世紀は希望に満ちた社会」
アメリカ86%、日本34%
・日本青少年研究所の調査
若者が選んだ最も大切な人生目標の結果では
アメリカが大多数選んだ「「高い社会的地位や名誉を得ること」41%
日本2%に満たない。
一方、日本で大多数が選んだ目標は
「人生を楽しんで生きること」62%、アメリカ4%。
実はここ20年で日本の若者達の間で「まじめに努力する」ことや
「社会的に成功する」事への価値が失われてしまった。
その理由はそれらを利己的な人間と見る傾向と関係している。
利己的な人間としてみる理由
国や社会の状況も関係する。たとえば、国の経済が成長していて
皆で分けるパイが大きくなって行くと感じられる時は、良く勉強hして国の経済に貢献するだろうと考えられる人間は尊敬される。
国が豊かになれば自分も豊かになると感じられる。
今の中国がそうである。
でも、日本のような社会では
パイが一定であるならば
「ゼロサム・ゲーム」
誰かが得をすると、その分誰かが損をすると感じられるゼロサム・
ゲーム状況では成功する為に努力している人は他人から見れば
自分に損害を与える人だと感じられる。
最初の人間が利己的に観え、勤勉さや、社会的成功には価値を置かず、
現在の時間を楽しく過ごそうという考えが支配的になってくる。
それも人から避難されないための社会適応なんだけど。
まとまっていない箇条書きでスイマセンが
今日はここまで
今から食事にします。
お時間があったら
「ダイバーシティ 文・山口一男」呼んでみてください。
ちなみにダイバーシティの意味は次回^^。
歩いた感想もまた後日・・・。
とりあえず参加してくれたみんなが最高に楽しかったと言って
くれました。
楽しさは簡単で容易なものでは得られない。
だから楽しかったといえる。
そういえば一番覚えてる言葉は、源流付近で
「なんでこんなにきれいな水が海に着く頃には汚れてしまうの?」
だった・。
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